偶然と必然
「偶然」と「必然」という言葉がある。
現代文の授業で、『偶然性の活用』という随筆に出会った。
筆者の市村弘正さんは「 偶然性というものを中心に置かない思想、出来事を重視しない思考、具体性につかない思索を、私は評価しなくなった。」と書いている。
(市村弘正『偶然性の活用』より)
わたしはどちらかというと、必然的な考え方をする。
わたしの母が物事を必然的に捉える人であるからだ。
父と母が出会って結婚したのは…とか、
わたしがこの高校に受かったのは…とか。
良いことも悪いこともすべて、何かしらの根拠があり、わたしたちはその意味について考えながら前に歩を進める。
自分と違った視点のものを読んだり聞いたりするのはとても楽しくて、好きだ。そういう考え方もできるのか、という新しい発見があるからだ。
だからこの随筆を読んだ時、心が弾んだ。
保育園の先生が読み聞かせてくれる絵本を、キラキラした目で聞いていたあの幼い頃のように。
問題を解かなければいけないのに、文章を読み終わったところで解答時間残り5分だ。
まずい。
とりあえず問題を解いた。
帰宅後どうしても心がモヤモヤしていて、考えていた。
「戦後零年に生を享けたことに加えて、もう一つの偶然は、私が職人の家に生まれ育ったということである。(中略)私は兄姉や近隣の友達のなかで例外的に大学へ行くという特権的な機会を与えられたが、これはもう一つの偶然である」(市村弘正『偶然性の活用』より)
筆者の市村さんは自分の生い立ちを偶然だというけれど、わたしからしてみれば必然だといっても全く不思議ではない。
しばらく考えていると、「偶然と必然は相反するものではない」という考えに辿り着いた。
うまく説明できないけれど、偶然と捉えるか、必然と捉えるかは一人一人の自由であり、どちらが正解かなんてものはない。
自分が前を向いて進み続けるために、
自分の心を奮い立たせるために、
どちらで捉えるのがよいのかを自分自身に問うことが大切なのだと思った。
みなさんはどちらだろうか?